こんにちは!
ヤマシタ塾の山下です。
(前回の続き)
ここまで長々と書いてきましたが、それは「評定はちゃんとつけられているよ」ということを伝えたかったからです。学校の先生は客観的な評価規準に則って評定をつけています。主観的につけている部分も多少はあるかもしれませんが、その割合は多くはないでしょう。
客観的な評価規準があるということは、客観的に評価をしているということです。つまり、「目に見えるもの」で評価しているということです。だからいくら「頑張っています!」とか「ワーク3周やりました!」とか言っても、それが目に見える形になっていないと、評価したくても評価できません。自分の頑張りを、自分のやってきたことを、自分の考えを、学校の先生に見てもらう―分かってもらう、のではなく、見てもらうのです。いや、学校の先生はめちゃめちゃ忙しいので、見てもらうくらいでは見落とされてしまうかもしれません。見せつけるくらいの意識が必要です。
主体的に学習に取り組む態度は「学習に関する自己調整」と「粘り強さ」の2つの側面が重要であると先の記事(その1)で書きました。学習に関する自己調整とは、自らの学習状況を把握し、目標を設定し、計画を立て、記録をつけることだと考えられます。しかし学習の目標や計画を立てただけでは意味がありません。それを達成するためにあーでもないこーでもないと、実際に試行錯誤しながら勉強する必要があります。これが粘り強さだと考えられます。
これらを学校の先生に「見せつける」のです。「お、目標立ててるな」「お、自己分析してるな」「お、ワーク3周やってるな」と「目で見てわかる」ように表現することが重要です。その際に重要になるのが「想像力」です。学校の先生が自分のことをどう見ているのか、どんなことをしたら自分のことを評価してくれるのか、どんなことをしたら自分の努力が伝わるのかと想像することです。想像したうえで、学校の先生が求めることを差し出してあげるのです。
「そんなの学習の本質ではない!」とクレームがきそうですが、自分の学力を上げることと、自分の評価を上げることは別々に考える必要があると私は考えています。誤解を恐れず言うならば、評定なんてものは目上の人に気に入ってもらうためのトレーニングくらいに考えるべきではないでしょうか。
大事なことなのでもう一度。自分の学力を上げることと、自分の評価を上げることは別で考える必要があります。そしてそのどちらも子どもたちにとって重要であり、また別で考えるからこそつく力があると考えます。
自分の学力を上げることの意義は言うまでもありません。では自分の評価を上げることの意義はというと、それは想像力が鍛えられることだと考えています。子どもたちはいつか社会に出ていきます。社会は学校とは違って「これが正解だよ」というものがありません。正解を教えてくれる人もいません。そんな厳しくも自由な社会を生きていくときの道しるべになってくれるのが、「こうしたら、この人は喜んでくれるかな」という想像力ではないでしょうか。
評定をいかに上げるか―それは学習の本質とは違うかもしれませんが、学力以外のことも生きていく上では大切です。話が少し大きくなってしまいましたが、こういった考え方でいれば、「先生は自分のことが嫌いだから評定が厳しくつけられている」のような「自分の不幸はまわりのせい」とする生き方ではなく、「自分の幸せは自分で創る」という生き方ができるのではないでしょうか。その方が、絶対人生は楽しくなりますよね。
