こんにちは!
ヤマシタ塾の山下です。
私が授業をしているときに常に考えていることは、「いつ教えることを止めるか」です。
ほとんどの塾講師は教えることが好きでこの仕事をやっていると思います。(そうではない塾講師もたくさんいますが)また、ほとんどの子が教えてもらいたいと思って塾に来ていると思います。教えたい側と教わりたい側―これ、一見ナイスな組み合わせに思えるのですが、注意が必要です。
講師「こうやって、こうやると」
生徒「ふんふん、ふんふん」
講師「でね、ここでこうすると」
生徒「ふんふん」
講師「こうなるでしょ?」
生徒「ふんふん」
講師「するとこれが分かるから、はい、できた!」
生徒「ふーん!!(なるほど!!)」
この時間をふんふんタイムといいます。鼻息ふんふんでしゃべくりまくる講師と、その授業の分かりやすさに理解のふんふんが止まらない生徒たち。生徒は分かった喜びに満たされ、講師も分かってもらえた喜びでいっぱいです。幸せで、心地の良い時間です。そして塾から送られてくる授業報告書にも「よく理解しています。この調子で頑張りましょう!」と書かれている。
残念ながら、おそらくこのパターンでは成績は上がらないでしょう。「理解する」ことと「できる」ことは違うからです。テニスを例に説明すると、サーブの打ち方を教えてもらえただけでサーブが打てるようになることはありませんよね。実際に打てるようになるまで何度も何度も、ときに日が暮れるまで、ときに雨が降る中でさえ、サーブ練習をしますよね。勉強も同じです。教えてもらっただけでは、成績は上がりません。つまり塾や学校ができることは教えることでしかなく、成績を上げることはできないということです。成績を上げることは子どもたち自身にしかできません。
できない自分と向き合って、誰の手も借りずに、できるようになるまで、鉛筆を走らせる―
この孤独な時間を通じて、子どもたちは「できる」自分になるのだと思います。ゆえにこの孤独な時間をどのタイミングで作ってあげるのかが塾講師という仕事において最も重要であると考えています。
「教えない教育」という言葉をあちこちで聞きますが、それは孤独な時間に耐えられるだけの学力レベルの子にとって意味のあるものであり、そうではない学力レベルの子にはそれに耐えられるだけの学力レベルまで「教える」ことで引き上げていく必要があります。だって、生まれたばかりのヒナに「さあ、自分で餌を見つけてきなさい!」とはならないですよね。ある段階までは親鳥が面倒をみますよね。教えない教育にもタイミングがあるということです。
でもやっぱりそれが難しいんです。学力は目に見えないので、「この子はもう孤独な時間に突入してもOK」というのが明確には分かりません。タイミングが早過ぎるとただただ目の前の壁にフリーズするだけの「座っているだけ」のお地蔵さんになってしまいますし、タイミングが遅すぎるとこれまた「ふんふんしているだけ」の観客になってしまいます。
だから難しいんです。当塾が通い放題にしているのは、そのタイミングをしっかり見極めるためでもあります。
