叱らない教育の行きつく先

こんにちは!

ヤマシタ塾の山下です。

まず、以下のニュースを読んでいただいてもよろしいでしょうか。

「スポットワーク」アプリ事業者に厚労省が指導 働き手の無期限停止(朝日新聞デジタル) – Yahoo!ニュース

スポットワークの仕組みやそれに関わる法律とかに詳しいわけではないですし、このニュースの背景なんかも詳しくは知りませんので、このニュースに関してあーだこーだ言うつもりはありません。これを取り上げたのは「そもそも、無断で休むなよ」と思ったのと同時に、「少なくとも自分の教え子はこんな無断欠勤をするような大人にならないように育てなければ」と、改めて思ったからです。

叱らない教育が流行ってますよね。これ自体に問題はないんです。教育に正解はないので。ただ、私が以前から問題だと感じているのは、叱らない教育が間違って解釈されたり、または大人の都合によってそれらが子どものためにではなく、大人のために行われている場合が多々ある、ということです。

以前の記事『子どもの遅刻に、わたしたち大人はどう向き合うか』でも書いた通り、今の子たちは遅刻をしたくらいでは叱られないようです。叱ると損する時代、とでも言いましょうか。学校には「うちの子を叱るとはどういうわけだ!」と怒鳴り込んでくる保護者がいたりとかするわけで、それでなくても人手不足で忙しい学校現場でそんなことになったらさらに混乱しますから、そうなるくらいだったら見て見ぬふりしちゃおう、みたいなのってあると思うんです。(学校の先生の皆さま、勝手な想像してごめんなさい)また、営業ノルマに追われている塾の先生も絶対に叱らないですよね。だって、叱ったら「塾辞める」ってなるかもしれませんから。

こういう状況において、叱らない教育というのが「叱らなくてもOK」みたいな、子どもの過ちを見て見ぬふりをする、見逃しの罪に対する免罪符みたいになっちゃってる部分があるのではないでしょうか。

また叱らない教育とか寄り添う子育てみたいなものによる影響なのか、何でもかんでも「子どもの考えを尊重します」みたいな人がよくいますが、何でもかんでも尊重していたら子どもは楽な方にいくだけですよ。そういう子どもに嫌われたくないだけの無責任な優しさは子どもたちの成長の機会を奪います。今、学力の二極化が起きているのはこういうことも背景にあるのではないでしょうか。

叱られることもなく、いつでも意見を尊重され、頑張ってもいないのに強引に褒められてきた子どもたちも、いつかは社会に出ていきます。しかし良いことと悪いことの区別もつかず、世界の中心は自分だと思い込み、また困難に挑戦することもできない大人が行きつく先は、「まわりに迷惑をかけている自分を棚に上げ、自分の権利だけを主張するモンスター」です。

子どもらしく楽しく過ごすことも大切な一方で、子ども時代というのは、社会に出たときに自分の力で、真っ当に生きていくことができるようになるための修行期間でもあります。だから私たち大人は〇〇教育だとか、〇〇法だとか、〇〇メソッドなんてものに振り回されずに「ダメなものはダメ」、「良いことは良い」という規準をしっかり示してあげる必要があります。

そういった考えで、当塾が開校してからすでに二人の生徒が遅刻に関して私から雷を落とされた(二人とも泣く)わけですが、その後、その二人は一回も遅刻することなく元気に通っています。本気で思いを伝えれば、子どもたちは分かってくれますし、嫌われることもありません。びびって中途半端に言うから伝わらないのだし、だから「あいつまじうざい」ってなるんです。

社会は厳しいし、学校の授業と違って正解もない。

だからこそ、楽しみ方は無限にある。

だから今は、楽しい人生を送るための修行期間だと思って歯食いしばれ。

困難なくして、成長はないぞ。

塾の先生としてではなく、一人の大人として伝えていかねばならん、と思うのです。

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